つづくストーリー 「父と子のアラスカ〜星野道夫 生命(いのち)の旅〜」を見て - 歩きながら考える

引き続き、ただの日記です。
 

 
何度も何度も読んだ星野道夫さんの本。
 
星野道夫さんが亡くなったとき、1歳8ヶ月だった息子・翔馬さんが、初めてアラスカを訪ねるというNHK-BSの番組。
 
若き星野さんが手紙を送ったその宛先であり、家に滞在させてくれた当時の村長、シシュマレフのクリフォード・ウェイオワナさん。星野さんに神話を聞かせたボブ・サム、星野さんを撮影現場まで連れて行ったブッシュパイロットのドン・ロス。そして、星野さんの奥さんである直子さん。
 
星野さんの本を通して、ぼくも出逢っていたひとたちの、あれから20数年後の、「今」の姿。
 
「おー、ミチオの息子かあ!」と顔をくしゃくしゃにして翔馬さんを迎えるひとたちの姿を見る時間は、なんだか勝手に、親戚の息子さんを見るかのような感覚がありました。泣けたなあ。おおきくなったし、アラスカの皆さんの、年月を感じさせる老いた姿とやわらかな笑顔。まるで、『北の国から』で小さかった純が大人になり、怖かった五郎さんが小さくなっていく様を見ているかのような。
 
番組をみていて、星野さんの著作から感じ取っていたことが、胸のうちで久しぶりに沸き立ってきました。
 
自然のなかで生きる。じっくりと、ものごとを見つめること。待つこと。見守ること。掘り下げること。家族になること。 
 
そして、好きに生きること。懸命に、ひたむきに。
ぼくの今は、江田島市での暮し。なんだか、元気がでる番組でした。
 
 
<人間の気持ちとはおかしいものですね。どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。人のこころは深くて、そして不思議なほど浅いのだと思います。きっと、その浅さで、人は生きて行けるのでしょう
−星野道夫>
 
 
◆BS1スペシャル「父と子のアラスカ〜星野道夫 生命(いのち)の旅〜」
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/2443/3115268/

読んだ本のこと|『仕事場訪問』 牧野伊三夫 著 - 歩きながら考える


 
画家の牧野伊三夫さんが、「美術の仕事に関わる方々」の仕事場を訪問する本です。2002年から2011年まで、雑誌『四月と十月』に掲載されたものを単行本として纏めた1冊。
 
 
ひとの「想い」に触れられる読みものがぼくは好きです。ひとが秘めている「熱」や、その熱のみなもと、つまり、「暮し」の育み方に触れられるような読みものが好きです。
 
お手軽さやお気楽さはあまりないかもしれませんが、ぱぱっと2〜3分で読み終えてしまう(見終えてしまう)ものより、ゆっくり咀嚼し、じわじわと沁み込むようなものがぼくは好きです。
 
 
「ひとがひとをわかるのには4年かかる」。いつだったか、瀬尾まいこさんがそんなようなことを書いていた記憶があります。
 
それほど人間は多面的な生きものだということかもしれません。ひとは徐々に、内面も外見も変わってゆきます。誰かをわかった気になっても、ふとしたことでもやもやしたり、掴んだつもりがあれれとなったり、そんなような生きものなのかもしれません。その「もやもや」こそが大事なのかもなあと思う30代、ことわたくしです。
 
 
この本では、牧野伊三夫さんが「気まぐれに会いたいと思う方」を訪ねます。ひとがひとを知り、会いに行く。訪ねてゆく。会いに行くまでには、「余白」があります。誰かを想い、めぐらせる。会うことを望み、それを受け入れる。受け入れ、望まれたひとのことを想い、めぐらせる。火花や摩擦、調和と交錯。話し、訊き、話されたことに近づこうとして、想い、めぐらせる。いつしかそれが心で育ち、目線や心持ち、歩み方が少し変わる。
 
 
「仕事場訪問」という内容にもかかわらず、この本には写真が極端に少ないです。9人を記した、およそ200ページ。語られ、綴られることは、主に「考え方」「捉え方」、そして「生き方」について。
 
 
ひとは何を想い、「つくる」のか。何を想い、暮すのか。「芸術」とは。「美術」とは。「わかる」と「もやもや」の間をいったりきたりしながら、この1冊を読み進めました。
 
訪ね先のお相手のことだけでなく、著者である牧野さんの静かな「熱」や、心の動きに触れられるような1冊。写真も少なく、お手軽さやお気楽さ、親切さはあまりないかもしれませんが、じわじわ染み入る本なのでした。
 

 
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■本書の特色
 
◎「仕事場訪問」は美術同人誌『四月と十月』に連載された人気のシリーズ。画家牧野伊三夫が強い魅力を感じ関心を抱いているアーティストなどの仕事場を訪問し、その生き方、芸術の心や手法についてじっくりと聞き書きした、たいへん貴重な記録となっている。
◎本書に登場する人物は、現代芸術の第一線で活躍するアーティストだけでなく、日本の版画界を代表する版画刷り師、ユネスコ世界記憶遺産に登録された筑豊炭鉱の画家、2017年創業100周年を迎える銀座の画材店の創業者など。彼らは画家牧野伊三夫を相手に、濃密な芸術人生を興味深く語っている。
◎本書に登場する人物(敬称略)
 木村希八(版画刷り師)、葛西薫(アートディレクター)、山本作兵衛(炭鉱の記録画家)、立花文穂(アーティスト)、橋本兵蔵(月光荘画材店創業者)、鈴木安一郎(アーティスト)、福田尚代(アーティスト)、福間貴士(湯町窯陶芸家)、田口順二(画家)
◎芸術や独自の仕事を模索しながら打ち込もうとする若い世代を応援するメッセージや内容を誇り、元気の出る美術エッセイ集。
◎大好評シリーズ「四月と十月文庫」。牧野伊三夫の初の画文集『僕は、太陽をのむ』(第6弾)につづく、牧野伊三夫の2作目!

 
▼港の人ウェブサイト
http://www.minatonohito.jp/products/207_01.html

「行政」や「パブリック」のなかで 〜 ぼくの幸運 〜 - 歩きながら考える

この1年9ヵ月、市役所のなかで働いてきました。ぼくの席は、江田島市役所 産業部 農林水産課 オリーブ振興室のなかにあります。毎朝、出勤する場所もここです。
 
仕事は、基本的にはまずオリーブ振興室の職員さん(おふたり)と一緒に進めます。仕事の過程で、関わりがあるのは市民栽培者さん、そして企業のみなさんです。
 
加えて、今年度は江田島市観光協会が企画した「市民デザイナー」というのもやらせてもらっています。観光に関するチラシやポスターを、いくつか作らせていただきました。パブリック的な仕事、といえるかなと思います。
 
 
「行政」や「パブリック」の「なか」で仕事をすることは、ぼくも初めてのことです。今までは、多くのひとと同じように、その「外側」にいました。加えて、ぼくは社会人生活の半分を音楽業界で働いてきましたので、市役所のなかでの仕事は、今までの仕事(の進め方)とのギャップが少なからずあります。
 
・仕事の進め方
・会議(ミーティング)の少なさ
・いわゆる縦割り(部をまたぐような企画やMTGの少なさ)
・上司への提案などは基本的に書類、しかもWordで作るような書類である
・そもそも、「売上げ」「商売」という発想(や実態)がない
 
などなど。
 
今までの仕事との「ギャップ」は随所にあって、いわゆる終身雇用制であることなども含めて、「旧態依然のやり方だなあ」と思う部分も少なからずあります(そうしたことへの批判をここでしたいわけではないです。あしからず)。
 
 
ぼくは、今の仕事がおもしろいです。「公共」のなかでやる、仕事。
 
それはときに、たいへんです。「職員は市民の税金で喰ってるんじゃろ?」と言われる立場です。いまだって、ぼくもそう思っています。小さな市ですから、休みの日だって、外に出れば知り合いに会い、そこではやはり、「職員の○○さん」として見られます。平日に有休を取っていても、市民の方には「サボってた」と言われかねない立場です。協力隊になって初めてわかったことですが、小さな行政区での公務員は、なかなか窮屈な場面があるのも確かです。
 
そして、市民のみなさんからご意見も多くいただく立場です。ぼくであれば、「江田島市のオリーブ振興はなんでこうなの?」とか、「予算が〜」とか、「市はなんでもっとこうせんの?」などなど、時にはオリーブ以外のことについても、様々なご意見をいただきます。
 
 
それでも。ぼくはこの仕事がおもしろいです。公共や行政の「なか」でしか出来ないことが、確かにあります。あると思います。
 
「そと」から言うのは、ある意味簡単です。でも、「なか」から変えていこうとするのは、とてもやりがいがあります。「なか」からでしか出来ないことがあるのです。
 
「なか」に入るのは、狭き門なのかもしれません。誰でも入れる、というわけではないですよね。ぼくにしても、協力隊としては「3年間」という期限つきです。
 
 
江田島市の人口は2万4千人です。たとえば横浜だったら、人口があまりにも多いので、「パブリックな仕事」という範囲自体がそもそもぼんやりしています。そして、「ひとりの職員さん」の顔はなかなか見えてきません。ぼくの住む江田島市では、おそらく島で一番大きな「事務系の職場」が市役所ですし、言うなれば、市役所は島の「大企業」的な立場です。
 
市役所の頑張りが、島の現在と未来に大きく関わっている。そういう場所での、そういう立場・役割のなかでの、パブリックな仕事。
 
うん。大変だけど、とてもおもしろいです。
 
そして協力隊は、「行政」「市民」「企業」それぞれに属しているようで、そのどれにも属していないような存在で、それぞれの橋渡し的な役割も出来そうですし、それぞれの谷間に沈んでしまったり板挟みになることも容易に起こりうる立場だなあと思います。さらにいえば、「地元民」と「移住者」の狭間にもいる存在なのかな、とも思います。
 
こんな立場にいれること。とても幸運だと心から思います。来年はどんなことができるかな。いまだからこそ、この立場だからこそ出来ることを考え、感じながら、また進んでいきたいと思っています。

ともだちの話 - 歩きながら考える

何年か前のゴールデンウィークに、お茶畑に行きました。
 
毎日、ひたすら茶刈り(茶摘み)をしました。お茶を刈る機械に乗って、布団カバーのような袋のなかにお茶がいっぱいになったら袋を換えて、機械の上が袋でいっぱいになったらトラックにぶん投げて載せて、トラックがいっぱいになったら出荷する。
 
広い広いお茶畑で、1日中茶刈り。今日はよくやったなーと思っても、お茶の木の列5本とか、そんなおおきな畑です。あしたもおなじかんじ。地味だけど、何日か頑張ればこの畑も終わる。この畑が終わったら、機械をトラックで移動させて、別の畑でお茶の新芽が待ってる。
 
・太陽の下で1日はたらく
・目に見える達成感がある
 
そんなところが、ぼくにはとても新鮮でした。
 
 
ぼくは、移動本屋とサラリーマンをやってきました。デスクに座って資料を作ったり、会議でプレゼン、会社のなかの設備や環境をよくする。そんな仕事でした。
 
そんな仕事をやってきたぼくには、友人の「しごと」がとても新鮮に感じられました。「ああ、こんな生き方もあるんだ」。おおげさでなく、ぼくはそんなふうに思いました。
 
 
友人は静岡に住んでいます。数年前にお父さんがなくなり、お母さんと愛犬との暮し。お茶とレタスとお米。忙しい時期には近所や遠くに住む兄弟家族がやってくるのですが、基本的にはずっとお母さんとふたりでの野良仕事。
 
友人と出逢ったのは、音楽の場でした。音楽やアートが好きな友人は、音楽ライブを聴きに静岡から都内へ、しばしば遊びに来ていました。音のある場所で何度か出合い、SNSでも繋がり、時間が過ぎていきました。
 
ふと、「あのひとの『生活』を見てみたい」 そう思って静岡へ向かったのが数年前。<夏も近づく八十八夜>という唄にもあるとおり、ゴールデンウィークは茶刈り(茶摘み)の時期。1日か2日、ちょっと覗くつもりで彼の家に行ったぼくは、結局、ゴールデンウィークの終わりまで滞在し、がっつりと茶刈りを楽しみました。でもまだ、彼の茶刈りは終わっていなかったんですけどね 笑
 
その間、彼の家に泊まり、お母さんと3人でご飯を食べ、仕事を終えて温泉に行ったり、さわやかでハンバーグを食べたり、少し離れた浜松にある彼の好きなお店へ連れて行ってもらったりしました。
 
その初夏の体験が、ぼくにはとても大きなものでした。
 
 
口でいえばあっけないのですが、それまでの自分がしてきた「暮し」とまったく違う「暮し」を体験したこと。
 
とくに、「太陽の下で一日を過ごす」というのがぼくのお気に入りでした。1日が終わるとカラダはどっと疲れるのですが、毎日とても気持ちよく眠れたのをおぼえています。会社員をやっていたころ、頭は疲れているのにカラダは元気で、夜なかなか眠れない・・・という経験が少なからずぼくにもありました。
 
江田島市に来て、ぼくはどうだろう。あのころ「いいな」と感じた生活に、少しは近づけているかな。
 
 
今まで書いたことがないけれど、ときどき、ぼくは、彼の「孤独」を思います。彼の「孤独」に寄り添ってみようとします。
 
どんな気持ちで、自分に「がんばろう」と言って、彼は今日も畑に向かうのだろう。どんな気持ちで、蒔いた種の「その先」を見つめているのだろう。
 
自分で畑をやるようになってから、農業は「孤独」だなと思うようになりました。そして、オリーブを育て始めるようになって、畑をやるのに一番重要な才能は「自律」だと思いました。自立、ではなく、自律。自分を律すること。毎日数時間でも畑に行くこと。こつこつと続けること。
 
ぼくはひとりで畑をやっているので、畑に行かなくても誰にも怒られません。「天気も悪いから今日はまあいいか」ということにしても誰にも何も言われません。怒られないけど、そんなことを続けていると、当然ながら畑が荒れていきます。
 
畑は、すぐに結果がでません。今日肥料をまいたところで、今日草刈りをしたところで、明日急に実がなるわけじゃないし、急にお金になるわけじゃない。ましてやぼくが育てているのはオリーブです。果樹。樹。
 
それでも毎日、こつこつと畑に行くこと。世話をすること。続けること。それがなによりも大事なんだと実感しています。
 
じゃけん、「スケジューリングが大事」というふうに云うひともいるかもしれないけど、ぼくは、「自律がだいじ」と云いたいです。自律。自分を律すること。いまのぼくは、まだまだです。ほんと、まだまだ。
 
 
ひとりで畑に向き合っているとき、ぼくはともだちのことを思い出します。きっと、ぼくなんかよりも、はるかに長く、深く孤独と自律を噛み締めてきたともだちのことを。
 
そんなともだちが、遠い空の向こうで、きっと同じように畑に出ていること。それがぼくの励みでもあります。
 
 
宮沢賢治は、「告別」という文章のなかでこう書いています。
 
<みんなが町で暮らしたり
 一日あそんでゐるときに
 おまへはひとりであの石原の草を刈る
 そのさびしさでおまへは音をつくるのだ>
 
 
ぼくは音はつくらないけど 笑、賢治が云いたかったことが、なんとなくわかるようになってきました。
 
誰に頼まれるわけでもなく、誰のためでもなく、ひとりで、みずから、あの石原の草を刈りにゆくのです。「今日はどんな様子かな♪」と心躍る日も、「ほれ、今日もいくぞ」と自分に言い聞かせる日も、みずから、ひとりでゆくのです。
 
みずからと仲良くし、折り合いをつけ、足をうごかし、足でかせぐ。そうしたことを、ふつうに、こつこつ、つづけていける。そんなともだちを、ぼくはとても尊敬しています。
 
また行くよ、袋井に。ありがとね。ありがとう。そしておめでとう。また一緒に温泉にいこう。
 
 

Tさんのこと - その他、江田島市での暮し

「まさかこんなことになるなんて、ぜんぜん思ってなかったからねぇ」
 
やわらかい表情でTさんはそう口にし、そっと目尻に指をやりました。そのお顔は、寂しさや悲しさよりも、幸せそうにさえ見えました。後悔などではない、とてもやわらかな顔でした。きっと、このことについてもう何度も何度も考えてこられたのかもしれません。やわらかい笑顔でぼくに話してくださるTさん。ときおり、そっと涙をぬぐいながら。
 
 
仕事を終えられたTさんたちが江田島市に移って来たのは10余年前。縁もゆかりもない江田島市での、ご夫婦でのふたり暮しです。ぼくの両親よりも歳上のおふたり。「この場所がほんとうに気に入っちゃったの。穏やかで、それにこの景色。いまでもほんとうに大好き」。
 
移住して数年後、ご主人が病気を患います。日常生活に支障はないそうですが、後遺症のようなものが残っています。大好きだったという車の運転をやめることを決め、車も手放します。「最近は、以前よりモノ忘れが激しくなってきたみたいで」 ご主人の方をちらりと見ながら、Tさんがそう口にします。
 
 
江田島市の人口は現在2万4千人。この10年で5,000人ほどが減っています。毎年500人の減少。移ってくる人や生まれてくる人よりも、亡くなっていく人や島を出てゆく人の方が圧倒的に多いという現実。
 
島には大きなスーパーがいくつかあり、コンビニエンスストアも増えてきています。一方で、地域の商店はその多くが次々とお店をたたんできました。
 
 
島での生活には、車が欠かせません。もしぼくの生活に車がなかったら・・・。想像してみるだけで、いまとは生活スタイルを大きく変えなくてはいけないことに気づきます。
 
 
Tさんたちは、近く江田島市を出て、広島市内に移ることを決められています。
 
「このひとが病気になってからね、『まだ大丈夫だろう』『もう少し大丈夫だろう』と思って暮してきたけど、そろそろ、そろそろ、ね。こどもたちが広島市にいるんだけど、ここでは何かあったときにこどもたちに来てもらうにも時間がかかるし。むこうなら、歩いてお店にも行けるし、病院にも行きやすくなるからね」
 
Tさんの話が聞こえているのかいないのか、ご主人は少し離れたところで静かに座っています。「ほんとうに、なにも考えずにここに来ちゃったから。ここが大好きなの。まさか、こんなことになるとはねぇ。ほんとうに。考えるの。これからどうやって生きていけばいいか。ねぇ。」
 
 
「なるようにしかならんのんじゃないかねぇ」。少し笑いながら、明るい声でご主人がそう言いました。きっとご主人も、もう何度も何度もこのことを考えてこられたのでしょう。
 
 
とても大切なことをぼくに話してくださるTさんたち。
ぼくはなにかを言いたくて、けれどもまったく言葉が出ませんでした。「たいへんでしたね」も「さみしくなります」も「きっとうまくいきますよ」も、口に出した途端にとても軽くなってしまいそうで、ぼくはただ、Tさんを見つめ、お話に頷くことしか出来ませんでした。
 
 
「峰尾さん、いまおいくつ? 36? いいわねぇ。今からなんでも出来るわね。今日は久しぶりに若い人と話せて楽しかったわ」。やわらかくやわらかく、Tさんはそう言って、また指で目尻をぬぐいます。
 
 
島や田舎暮らしにあこがれて、この島へと移ってくる人たちがいます。その一方で、Tさんたちのように、この島から出てゆこうとしている人たちがいます。そのどちらにも、「想い」があります。来た理由と、離れなくてはならない理由。ぼくらはついつい「来る人」に目を向けてしまいがちですが、去ってゆくひとたちの「理由」の方にこそ、大切ななにかがあるようにも思います。
 
 
人とのご縁にはなにかしら意味があると考えます。あとどれくらいかわかりませんが、ときどきぼくは、Tさんたちを見つめていきたいなと思っています。
 
 
そして、Tさんたちの現在の姿は、きっと、ぼくの30〜40年後の姿です。人口がさらに減ってゆく未来。車がなくても暮してゆけるように。考えなくてはならないことと思います。