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あれから。Tさん、そしてFさんのお話

以前に書いた記事のつづきのようなものです。

http://etajima-mineo.jugem.jp/?eid=149

 

 

リタイア後に島に移住されたTさんというご夫婦がいました。ぼくの畑の上の道をいつも散歩していて、話すたびに、移住者の新米であるぼくをやさしく見守ってくれました。Tさん達は、移住してしばらくのち、ご主人がご病気になり、時間をかけて考えた結果、終の住処と思っていた家を手放し、島を離れる決断をし、娘さんのいる広島市内へ出られました。

 

その家に新しく住んだのがFさん。

 

 

犬を散歩するFさんとも、畑をやっている際に出合い、ぽつりぽつり、じわじわと、よく話すようになりました。そして先日、Fさんの家に遊びに行きました。もとは、Tさん達が暮らしていたおうちです。

 

Fさんが拵えてくれた鍋をいただきながら、あっという間に5時間。ふと見た襖に、「酉年」と書かれた鶏の絵がありました。

 

思い出したのはTさん(奥様)の言葉。

「酉年。忙しなく動き回るけど、お金は貯まらないのよね 笑。峰尾さんもきっとそうね 笑。ふふふ」 あの、やさしい笑顔とともに。

 

Tさん(ご主人)、Fさん、そしてぼく、3人ともが見事に酉年です。そのことを、かつてTさん達と笑って話した部屋でFさんと気づき、なんだか可笑しく思いました。主人が変わっても、守ってくれるように佇んでいる襖の絵。なんとも、ご縁、ですね。

 

 

ひとは、生きる。継いだり継がなかったり、移ったり、決めたり、建てて、作って、直して、思い出を積み上げて、離れたり迷ったり、忘れたり諦めたり、笑って、笑おうとして、生きる。

 

 

きっと、どこにでもあるような、ご縁のお話だと思います。けれど、田舎では、ときにそれがとてもくっきりとしていて、些細なことにも「よろこび」を感じ、噛み締めたくなります。日常のなかで「モノ」「コト」が多すぎない田舎だからこそ、感じやすいのかもしれませんね。

 

そういえば実家の母も、いつだってご近所さんや親戚の話を喋っています。そういうことかもなあ。そういうことだなあ。それぞれに、良い時間が積み重なっていきますように。念。

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